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カジュアルワイン&シナモ式ピザ

シナモ誕生秘話

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*sinamoのメルマガ「週間SC通信」で配信された内容を加筆・修正して発表しております。なお、週間SC通信は3月より再スタートの予定です。
 
年始の寒い時期が来ると毎年、思い出すことがあります。それは今から21年前の1999年1月1日、現在の場所でシナモを開店するために物件を契約した日でした。
 
居抜き(前契約者の設備が残された状態で契約すること)でしたので、シャッターを開けたとき、以前の方が営業されていた焼き肉店の設備がほぼ残っていました。しかも、当時は不況だったので1年近く誰も手を出さなかった物件で、格安とは言えその設備も買い取ったわけです。全部。当然、ロースターとか巨大な焼き肉の排煙ダクトとか要らないわけですが、わざわざ撤去するものもすべて買い取るわけです。
 
しかも、普通は内装インテリア・施工業者さんなどと契約または話を通して契約するものを年末にケンカ別れしたため、誰もいない状態で契約してしまいました。(><)
 
当時、料理長の山猫(ヤマネと発音してください)と後に初代店長となり現在、京都ワイン研究所の佐藤所長(通称、サトちゃん)と三人でこれからどうなるのだろう、というやや悲痛な思いで重いシャッターを開けたのを思い出します。
 
それでも、矛盾しますが不思議とウキウキする自分たちがいたのも事実でした。しかし、その後驚くような事実に直面すのでした…。
 
 
 
 
当時は柳馬場通三条下ルで生活日用品店「アウラ」(雑貨から器、小物、食品、インテリアまで扱うセレクトショップでした)を営業していましたから、店が終わる20時以降に集まっては3月頃開店予定の店のために新メニュー、というかメニューそのものの作り込み練習をしていました。
 
もっとも、撤去前の設備のため使い勝手が悪く、中々思う通りにはいきませんでしたね。
 
当初考えていた業態が当時流行しつつあったカフェ業態。それに乗っかり、食事も楽しめ、おサケも飲めるカフェを作ることにしました。
 
そのため、まずは人気のあるパスタ作りから始め、一番最初に完成したのが今も販売されている「特製ベーコンと黒オリーブのトマトソース・スパゲティ」でした。ちなみに現在は初期バージョンに比べてかなり改善されています。
 
この最初のパスタが満足できる内容になるまで、たしか3週間近く掛かりました。しかし、出来た時は女将も加わり、4人で寒い店内で食べたときは嬉しくて、とてもおいしく感じましたね。そうそう、その時3才になる娘もいました。この娘と一緒に行く店が無いのが飲食店を始めようとした動機でもありました。
 
ただ、内装工事に入れないことが常に頭の片隅に。なぜなら、営業出来なくても家賃は払い続けなければいけないのですから…。料理長の山猫が「3ヶ月分しかお金は無い!」と告白。この事実に、おなかが鈍く痛くなる思いがありました…。
 
 
 
 
その危機を救ってくれたのが、高校時代からの友人T氏。氏がグラフィックデザイナーをやっているおかげで、仕事がらみですでに超売れっ子の店舗デザインの巨匠、森田恭通先生(!)をご紹介いただいたことでした。
色々、語りたいのですが、森田さんの何がスゴいって、デメリットをメリットに活かし、意味あるデザイン(認知度UP、費用対効果、心のフック、関連先を巻き込みながらもみんなが喜ぶ三方一両得な、まるで近江商人のような解決法などなど)に落とし込む手法ですね~。感嘆!!
 
極めつけはシナモのショップ・コンセプトである「シンプル・ナチュラル・モダン」をミニマムなデザインで具現化することには今さらながらスゴい!!のひと言。森田さん、この場を借りて改めて感謝申し上げます。足向けて、寝られません!!!!!!
 
一気に工事に入り、竣工が4月15日。ホッとする半面、実は次なる恐怖がヒタヒタと近づいていたのです・・・。
※竣工当時のシナモ(ちょっと雰囲気違います^^;)
 
 
その次なる恐怖とは、「銀行の借り入れがまだ決まっていない」と言うことでした。(><)
 
「オープンしていきなり廃業か…。」
 
なんちゅう見切り発車やねんと、言われそうですがもはや手元資金も底を着き、いきなり自転車操業開始でした。金額もン千万単位ですから、エラいことです。
 
しかし、育ちが大阪人のためか、深刻に物事をとらえることが出来ないタチで「ま、どなんかなるでしょ。」とも考えておりました。とは言え、昼間は笑顔でも、日を追う毎に夜間は唸(うな)っておりましたね。そう、支払いは月末なんです…。
 
ところが、4/28になんとか銀行の決済がおり、融資が決まりました。その日の閉店後、みんなで思わずドン・ペリ開けましたね。*\(^o^)/*
 
と言うような、危機を乗り越えて恥ずかしながら、開業いたしました。その後、紆余曲折ありましたが何とか今日に至る次第。いやはや。
 
改めて当時の関係者各位にはこの場を借りて、お礼申し上げます。m(_ _)m
 
 
※このテーマはこれにて終わり